堅気屋倶楽部
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ハネムーンベビー [ 馬牛 ] 07/03/12 18:21
 今回は、「じゃりン子チエ」主人公の両親が知り合った時期についての私見を述べ、その検証を通して、作者が物語の背景として非常に劇的な展開を構想していた可能性を指摘し、合わせて主人公誕生の時期について考察します。

 「じゃりン子チエの秘密」では、テツとヨシ江さんが知り合った地区運動会をテツが(そして恐らくはヨシ江さんも)中学生だった頃ではないかとしていますが、私はテツが中学校に在学すべき期間を過ぎてからのことではないかと考えています。

(1)地区対抗運動会の最後の競技は、「成人」のリレーなのではないか。中学生は「成人」の部の競技に出場できないと決め付けることはできません。後に竹本夫妻となる二人は、共に短距離走を極めて得意としたようですから、普通なら中学生が選手となることはない「成人」の部のリレーに特に請われて出場したとも考えられます。ただ、丸山ミツルが西萩地区の第一走者だったことはどう考えればよいでしょう。ミツルが、中学生時代に大人に伍するほどに俊足であったということを示唆するような描写は思い当たらないのですが。

(2)テツは、普通なら中学生である時期のうち、かなり長期間「鑑別所」に収容されていたのではないか。現実の少年鑑別所の収容期間は最長でも8週間ですが、作品中の「鑑別所」についての疑問はNo.3031(「鑑別所」について)で述べた通りです。第18部3話で、コケザルがテツを「小学校中退」と罵っていることも、テツが小学6年のある時期以降、通常の公教育をほとんど受けていないことの証左と考えます。

(3)第6部1話で、テツとヨシ江さんが初めてデートした際の写真が描かれていますが、写真中のテツはジャケットを着ており、中学生には見えません。第12部5話で主人公が、「ウチのおばァはん 子供のブレザーはイヤ味やゆうとった」とも言っています。写真は「初デート」の時のもので、地区運動会の翌週の再競走以後と考えられます(競走に備えてテツはトレパンを着て待っていたことになっている)が、仮に地区運動会をテツが中学生の頃、写真は中学校を卒業すべき時以降とすると、知り合ってから本格的に交際が始まるまでかなり長い期間を経過したことになるように思います。テツのヨシ江さんに対する態度からそれもいかにもありそうですが、上述の(2)からこの間テツが中学校に通っていたのか、それとも「鑑別所」に収容されていたのかという問題もあります。

 ところで花井拳骨・朝子の発言から、竹本テツ・ヨシ江夫妻は知り合ってから結婚に至るまで十年以上かかっていることが知られ、No.3024(テツの年齢)で花井拳骨夫人が亡くなったのは1967年5月下旬から6月上旬と推定しました。テツの年齢に関する推定No.3024(テツの年齢)の(1)によると、彼が中学校を卒業すべき時期は1958年3月、仮に翌月にヨシ江さんと知り合ったとしても十年経過した時点(1968年4月)で花井夫人は既に鬼籍に入っており、二人が知り合った時期についての私の印象は、作品中の記述と矛盾します。No.3024(テツの年齢)の(2)の場合、私の印象と交際期間十年以上の条件が整合する可能性は辛うじてあるようです。以下臆測を混じえて述べますと、

 1967年春、既に自らの死期を悟った花井夫人の心残りの一つは、前年夏にヨシ江との結婚を宣言したテツがここに来て「ゴネて」、話がまとまる様子が伺えないことだった。夫人は夫の拳骨に、自分たちが仲人を買って出ることで何とかこの話をまとめたいと強く申し出る。夫人の体調を気遣い、仲人を引き受けることをためらっていた拳骨だったが、夫人の希望を受けてついに決意し、テツに物理的・精神的に圧力をかけて挙式を承諾させ、テツとヨシ江は花井夫妻の媒酌のもと晴れて夫婦となる。しかし挙式後花井夫人の容態は急変、臨終の床に駆けつけたヨシ江の胎内には、後にチエと名づけられる子供が既に宿っていた。

 第3部12話で、花井拳骨はテツとヨシ江さんの仲人を引き受けたことについて、「あの時は自分が引き受けなければおさまらなかった」と言っています。二人が知り合ったきっかけ、その後の交際への関与、そしてテツへの影響力からして、花井夫妻ほど仲人を務めることにふさわしい者はいないように思われますが、上記の発言からは、仲人を引き受けるのを躊躇する事情のあったことが伺われます

 主人公が1978年度(78年4月~79年3月)に小学5年生であるためには、両親が出生日を操作したというのでもない限り、1967年4月から翌68年3月までの間に生まれたことになります。作品中の描写から、正式に婚姻を結ぶ以前にヨシ江さんが懐胎していたとは考えられないので、主人公は早生まれ、1968年2月か3月に生まれた可能性が高いと考えられます。第15部3話で、新婚旅行中新郎のテツは旅先の真っ暗な田舎の夜に不安になり、新婦のヨシ江からはぐれないように必死だったとあります。宿泊先でも、不安と恐怖のあまり一晩中新婦にしがみついていた(その限りでは普通の新婚夫婦だったわけです)、そしてこの時主人公が受胎したのではないでしょうか。旅行を終えて地元に帰ってくれば、バクチとケンカに明け暮れることで、テツはヨシ江さんと二人きりにならないように画策したでしょう。

 花井夫人は宿願を果たしてこの世を去ったわけですし、夫人を失ったことは精神的に痛手であったにしても、自身とそして夫人の強い希望であったわけですから、花井拳骨も仲人を引き受けたことを、少なくとも夫人の死との関係では後悔していないでしょう。

 しかし、収まりのつかない人間もいたのではないでしょうか。李白研究に打ち込むあまり家庭のことは一切顧みず、そうかと思うと極めつけの悪童の面倒を頼まれもしないのに引き受けては夫人に要らざる苦労をかけ、しかも夫妻自身の子である自分は東京の親戚に預けられ、そして母親の命旦夕もない状態で仲人を引き受けてみすみすその死期を早めさせたとして、父親への不信と怒りに燃える人物が。

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