第14部10話 「アルバムを見るときは落ちつかない」の巻、「他人のワシらでもイヤイヤ出てるのに」「親の葬式と友達の結婚式とどっちが…」。他人ばかり(ベストメンバー?)で親族が一人もいない、夫妻の一人息子渉までいない不思議な命日の法要。花井父子の間には、渉の母親の死を巡ってわだかまりがあるのではないか。
以下、作品中の断片的描写を基に、仮定に仮定を積み重ねた、妄想と言われても仕方のない花井家に関する臆測、お暇な方はおつきあいください。 渉が東京の親戚に預けられたのは花井拳骨夫人の死後、とお考えの方も或いはいらっしゃるかも知れません。第14部11話「花井恥かしアルバム」の巻中のテツの渉への問い、
「それより おまえ オバはん死んでからどこ行ってたんや」
はそのような印象を与えますが、第1部第11話「花井が来る」の巻での渉の会話
「僕、学校の関係でずっと東京にいたから良く知らないんだけど、僕のオヤジ チエちゃんのお父さんの仲人らしいんだ」
から、渉は竹本夫妻が結婚した時期(当然花井夫人存命中のことです)には既に在京していたと考えられます。
また第14部11話中のヨシ江さんの会話
「お父さん センセの奥さん好きやったんですわ センセが留守のときによぉ遊びに行ってましたんやから」
により、テツが花井家に頻繁に出入りしていたことが判りますが、この時期テツと渉の間には交流がなかったように思われます。第1部11話で、渉はテツが自身の父親の教え子の一人であることを知ったと言明しますが、少年期のテツについての記憶が述べられることはなく、同様にテツが子供の頃の渉についての思い出を語ることもありません。
ヨシ江さんの発言は、自身と交際していた当時の夫の様子について述べたものでしょうが、花井夫人が「鑑別所」に入所していたテツに面会に訪れていることから、ヨシ江さんと知り合う以前から、テツは花井夫人と懇意だったと見て差し支えないと思われます。
ところで作品中に明示されていない渉の年齢についてですが、私は三十歳前後との印象を持っています。大学を卒業して教員になっていること、ある程度は教員としての経験を積んでいるように見受けられるところから、二十五歳ぐらいが下限でしょう。菊地、竹岡両氏の考察から拳骨は七十歳手前と思われるわけですが、渉は拳骨が三十代の終り頃から四十代半ば頃にできた子供ということになり、かなり遅く出来た子供といえます。猶矍鑠たる拳骨にとって年齢は問題にならない(第7部9話で、防波堤に駆けつける拳骨は、あの足の速いチエちゃんに追い抜かれていない)でしょうが、拳骨と恐らくは同年輩で、病弱だった(第7部5話)と伝えられる花井夫人にとって、渉の出産はかなりの困難を伴ったと考えられます。渉の年齢を下限程度に考える場合、出産時四十前後と思われる夫人にとって渉が初産とは考えにくく、或いは渉には夭逝した兄または姉がいたと考えるべきかもしれません。
さて、テツが花井家に足繁く訪れるようになった時期を仮に彼が十五歳のときとすると、当時渉は小学校低学年もしくは小学校入学前、上述のように少年時代の二人に接点が窺えないことから、花井渉はかなり幼少の頃から、ことによると小学校入学以前から、東京の親戚に預けられていた可能性が高いと考えられます。