堅気屋倶楽部
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とおきにありておもふもの [ 馬牛 ] 2007 07/09 15:43
 第20部から21部にかけて登場するアケミについては、ある時期まで西萩、もしくはその近辺に暮らしていたとの設定で描かれている(だから竹本菊や近隣の人々は、アケミのレコードを一人5枚ずつ購入した)と考えて間違いないでしょう。恐らくは唯一発売に至った「泣き別れ法善寺」の表装の写真について、竹本菊が「二十歳前」と述べている(20部14話)ことから、アケミは16,7歳ごろに上京、数年間歌手となるための訓練を経たのちにレコードデビューを果たした、と考えるのが妥当のように思われます。

 大阪出身にも関わらずアケミは、終始標準語を話す人物として描写されています。「元恋人」のテツや恋敵のヨシ江と話すとき、更には独白の部分ですら徹底して標準語を用います(花井拳骨宅で酒が入ったときはどうだったでしょう)。彼女同様、何十年ぶりかで西萩に帰ってきた人物として描かれている、第9部に登場する「幕ごはん」が、菊との挨拶の後間もなく関西の言葉を話すようになったのとは対照的です。来訪当初、「見知らぬ他人」であった主人公とは標準語で話すものの、「知人の孫」と認識された後は、関西弁で「幕ごはん」なる自らの訛名の由来を話します。

 ところで、私はせりふに現れる語彙の面から、標準語か関西弁かを判断していますが、実際に発声されるとアクセントや抑揚などから、語彙の面ではそれらしい特徴がなくとも、関西出身者と知れる場合もあるかと思います。映画、演劇、動画など音声について実体的な表現がなされる場合、アケミのせりふがどのように発声されるのか興味のあるところです。既製のTV放送や映画は、年少者を重要な視聴者層として想定したでしょうから、彼らの興味を惹きにくいアケミの関わる話は、採用されなかったのではないでしょうか

 アケミの会話について奇異に思われる、寧ろ好ましからず思われるのは、主人公を前にしてその両親の名前、特に母親について呼び捨てにしてしまっていることです。父親はあんなような人物ですから「テッちゃん」でも違和感はありませんが、若いころの友人であっても初対面の子供の面前で呼び捨てにするべきものだろうか、と思ってしまうのです。「防空壕」でも終始「テッちゃん」「ヨシ江」で通していたとすれば、かなり「やりにくいオバちゃん」でしょう。

 金銭的にひどく潔癖な面も伺えます。京都競馬場の大乱戦に乗じた数日後、花井拳骨にテツの勝ち分として二十万円を託すわけですが、着服して自身が八十万円勝ったことにしても、誰にも分からなかったはずです。着服も何も、馬券購入は全てアケミ自身の出資による(アケミと出喰わしたときのテツは、千円しか持っていませんでした。淀に到着したとき彼の懐中には幾らあったでしょうか)ものですし、払戻金の一部を留保する戦術を採ったのも彼女の判断、そもそもテツは「何も分かっていない」し、挙句の果て「元恋人」に最も口にしてほしくない名前を聞かされるし。

 アケミは第21部6話以降西萩には現れず、同8話で菊と電話で話しているらしいの最後に物語から姿を消します。以下臆測を申し上げますと、

 アケミはほぼ二十年ぶりに故郷の大阪に帰ってきたが、既に生家は失われ、両親も亡くなっており、自身故里の言葉を話せなくなるほど変化を被った(そして「メマイがしそう」なほど昔のままの西萩の町)。決して成功とは言えない自身の芸能生活への引け目もあって、帰阪して半年間西萩を訪ねることはためらわれていた(第22部3話で作者がカルメラ兄を評して言うところの「心の中のおかしなタンコブ」)。このまま出身地の大阪に落ち着くか、歌を続けるべく新しい土地へ流れていくのか、「決めかねることもあったからちょっと運だめしに」淀に出かけてみたところ、そこには似たような悩みを持ち、彼女同様大勝した菊崎がいた。一方は西萩に根を下ろす道を選び、もう一方は…。

 第21部6話最後の頁では、菊崎とアケミは終始目をあわせることもなく、且つ「好きだ」「愛してる」等直接感情を言い表すこともなく、菊崎の好意をアケミが諒解したことを描いている、出色の描写であると考えています。20、21部は1羽の頁数が他部よりも少ないため一巻に15話収録され、1部12話の構成が通例の「じゃりン子チエ」では異例の巻となっており、両部を執筆していた頃、作者が制作にかなり苦労していた様子が伺えますが、不調の折に却って優れた描写が生み出されるところに、筆者の力量を感じます。


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