堅気屋倶楽部
  • このページは「関西じゃりン子チエ研究会」の掲示板「堅気屋倶楽部」の過去ログです。
  • 過去ログの性質上、投稿された情報が無効になっていたり、参考となるウェブサイトへのリンクが切れている場合があります。
「在日」説と「部落」説について [ 通りすがりの関西人 ] 15/04/28 17:52
「在日」説と「部落」説の項目に於きまして、一部誤記が見受けられましたので、僭越ながら御指摘申し上げます。

誤記:
朝鮮人は日本名への改姓を強制させられた事実がある。多くの人は自分の姓を残すために、改姓させられた姓に、もとの姓を残す努力をした。日本へ強制連行させられた朝鮮人は、日本が敗戦した後も、日本人による差別や虐待をおそれて、そのまま「日本人」として生活している。

●氏と姓の違い
明治維新以降、日本に於ける法的に有効な苗字は現在に至るまで『氏』で御座います。
氏とは、家族単位(ファミリー)で用いる名前です。
姓とは、一族単位で用いる名前です。
日本に於ける姓の例で御座いますが、江戸時代迄は家柄の系統を示す名前として用いておりました。

例:源 徳川 家康(みなもとの とくがわ いえやす)
意味は源一族の徳川と言う家の、家康。

因みに姓は、既に日本では法的に有効とされていない為、各御家庭では忘れられてしまいましたが、源、平、藤、橘などの姓を持つ家が多いのです。
また、江戸時代に武士や公家等以外の家には氏が無かったと誤解されている方が多いのですが、公式の場で名乗る事や公文書に記載する事が出来なかっただけで、実際には氏も姓も伝わっている家が大半でした。

此れに対し、中華圏に位置する現在の中国及び朝鮮では氏が無く、現在でも姓を用いております。

●朝鮮の地位の変遷
嘗ての朝鮮は、満州地方に源流を持つチャイナに於ける外来王朝『清』に朝貢する属国でした。
朝鮮王と言えどもその地位は低く、清皇帝に次ぐ琉球王の遥か下級、アイヌ酋長よりも下の地位で、実質上チャイナの家畜同然の扱いでした。
これが、日韓併合により朝鮮人は一気に国際的に五大大国に列する日本人として格上げされる事となります。

●清の衰退とチャイナの無主地化
国際的にチャイナに於ける唯一の正当政府であった清は、欧米列強の進出により、その基礎が揺らぎ日清戦争の敗北により崩壊への速度に拍車がかかる事態に陥りました。
チャイナ地方では軍閥や匪賊が跋扈し、各々が自称政府を名乗る事実上の無主地と化しておりました。
清王朝の出身地として聖地化され、漢族の立入りを禁じられておりました満州地方も例外では無く、無主地を領土として編入を試みるロシアとの紛争地と化したのです。

●無主地満州の開拓
歴史を学ぶ上で一度は耳にした事のある「満州開拓団」ですが、何も日本人だけで組織されたものでは無く、当時日本人となった朝鮮人もその多くが満州開拓に熱意を燃し、開拓に勤しんでいたのです。

●朝鮮人の密航に手を焼いた日本
日韓併合したとは言え、当初は民族も習慣も異なる日本と朝鮮ですので、自由に行き来する事を禁じておりました。
風習の違いから、嘗ての朝鮮通信使来日の際にも民家で窃盗を働いたり、女中を強姦し孕ましたり、公道で脱糞したりと、必ずと言って良いほどトラブルを朝鮮人が起こしておりました関係上、江戸幕府も業を煮やし朝鮮通信使を招く事を廃止ほどであり、当時の日本政府としては国民を守る為に当然の処置であったと言えるでしょう。
それでも、朝鮮人の密航者には手を焼いた様で、日本人と朝鮮人の区別を明確にする為に、1911年(明治44年)朝鮮総督府令第124号「朝鮮人の姓名改称に関する件」を施行し、朝鮮人が日本式の名前を名乗る事を禁じておりました。


●宗主国と属国
先に朝鮮人が満州の開拓に携わっていた事を記述致しましたが、満州と言えば漢族の立入りも禁じていた清王朝の聖地でした。
ここに、嘗て家畜扱いであった属国人が足を踏み入れた訳ですから、宗主国清を興した満州の地元民族は当然不快に感じます。
成る可くして起こったと言うべきでしょうが、1931年(昭和6年)三姓堡万宝山で満州人による朝鮮人満州開拓団員の大虐殺事件が発生しました。

●差別撤廃と氏と姓と名
三姓堡万宝山での朝鮮人満州開拓団員の大虐殺事件を境に、朝鮮総督府へ朝鮮人から「日本人になってから30年近く経過するのに、日本式の名前を名乗らせない事は、朝鮮人に対する差別である」との圧力と共に、改名への要求が強くなってきたのです。
その頃、日本政府は人種差別撤廃を世界に訴えかけ続けており、併せて内鮮差別(内地人と朝鮮人との差別)撤廃に腐心している状況でした。
しかしながら、治安維持を担う実務者からは強く朝鮮人の改名に反対され、一方で朝鮮総督府文部部からは「朝鮮人も天皇陛下の臣民として平等」との考えから改名を認めるべきだとの意見が挙げられ、朝鮮総督府は頭を抱える状況でした。
ここで、朝鮮総督府が双方の意見を取り入れる形での制度を整備する事で落ち着き、1936年(昭和11年)になってやっと朝鮮戸籍法改正に至ります。
この改正朝鮮戸籍では、従来朝鮮人には無かった氏を新設し、従来の姓は本貫欄に記載、名は名欄に記載すると言った、ルーツが朝鮮人である事を法的に証明出来、且つ日本式の氏も名乗れると言った制度としたのです。
但し、氏の届出は1940年2月11日より半年に限り希望の氏を受付け、届出の無い場合は従来の姓を氏に割当てる事としました。
例を下記に記します。

・氏を届出た場合
 氏:月山 本貫(姓):李 名:明博

・氏を届出なかった場合
 氏:李 本貫(姓):李 名:明博

従って、改姓と呼ばず創氏と呼ぶのです。

しかし「氏が日本式でも名が朝鮮式では意味が無い」との意見が強く、此れに対応する為に、裁判所に改名希望の旨を申請し、裁判所の調査の結果、前科が無いなど改名に至る理由に正当性を認めた際に限り、手数料を支払い改名する事を可能としました。
創氏改名に関する施策は、朝鮮総督府施政年報昭和15年版に記してあります。
併せて、大阪朝日新聞中鮮版1940年3月6日付紙面にも「氏の創設は自由 強制と誤解するな 総督から注意を促す」の記事が掲載されています。

従って「改姓を強制した」「多くの人は自分の姓を残すために、改姓させられた姓に、もとの姓を残す努力をした」との記述は、事実とは著しく異なっております。

更に「日本へ強制連行させられた朝鮮人」とありますが、戦前戦中を通じ朝鮮人密航者を当局は取り締まっており、徴用やビジネスなど正当な理由が無い限り内地へ渡る事は許されておらず、徴用に際しても年金に加入させるなどの正当な雇用契約に基づき内地に来たものであり、これは強制とは言えません。
若し、此れを強制と称するのならば、世のビジネスマンは全て強制されている事になります。
また、徴用を強制と解するかに至っては、当時世界は国家の総力戦の最中、欧米も含め法令に基づき徴用を実施しておりますので、ここはハッキリと区別する必要があります。
尚、戦後朝鮮人は帰還事業によりその多くが帰国しており、徴用で日本に来た者は殆ど残っておりません。

現在、日本に居る在日朝鮮人は朝鮮戦争とその最中で起こった、保導連盟事件、済州島四・三事件等の難を逃れる為に、自ら或いは日本共産党の手引により密航してきた者達であり、法的には戦争難民として特別永住資格を付与された者が大多数である事を無視してはなりません。

そして「日本人による差別や虐待をおそれて、そのまま『日本人』として生活している」との記述ですが、反日活動や、阪神教育事件、新潟赤十字爆破未遂事件など、GHQが事実上の戒厳である国家非常事態宣言を出したほどの、民族ぐるみでのテロ活動によって自ら生み出したものであり、現在に至っても犯罪率の高さは他の外国人より遥かに高い事が統計により明確になっております。
また、帰化する事により課せられる日本国民の義務を忌諱し、自ら望んで韓国籍、準無国籍である朝鮮籍、無届けの無国籍で居る訳ですから、「日本人」として生活して居る訳ではありません。

くれぐれも、お間違い無き様に願いたく存じ上げます。

<< 前のページ過去ログ目次'11~15年のお客様関じゃり研次のページ >>