堅気屋倶楽部
  • このページは「関西じゃりン子チエ研究会」の掲示板「堅気屋倶楽部」の過去ログです。
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今日(11月12日)で・・・・・。 [ 永吉 ] 02/11/12 00:03
67巻(最終巻)発売から5年が経ちます、自分は「もっと続いて欲しかった」と思いますがみなさんはどう思いますか?。
こち亀を・・・ [ 拳骨 ] 02/11/12 08:40
抜くと思ったが・・・残念
当時はあれが限界かな。 [ 堺のテツ ] 02/11/12 21:42
私も連載終了を聞いたときはショックでした。
ずっと続いて欲しいと思ってましたから。

でも、はるき先生がよく体調を崩されていたこともあり、当時としてはやむをえなかったのでしょう。
事実、平成6年頃から休載が目立つようになりました。
それまで年4巻出ていた単行本もこの年から年3巻に減りました。
それでも、内容は決してダラクしてはいないと思うので
その点だけでも立派だった思います。

それにしても、そろそろ月イチでいいから復活して欲しいなあ。

Re:今日(11月12日)で・・・・・。 [ まつうえ ] 02/11/13 12:26
それで話題の「チエ本」が11月12日発売なんですね。しかし発売日に本屋にありませんでした。予約したのに届いてないそうです。

こち亀は最新機械や世界、宇宙と広がるのでネタがつきないんでしょうね。あぶさんも一応年齢はとっていってますから周りのキャラの成長でネタも作れますし。その点チエは大阪の下町の中でキャラの年もとらせずにあれだけ続けば御の字と思います。

私の考え [ 灰江奈 ] 02/11/13 21:46
 多くの人に支持されてきた結果として長期連載になれば、それはそれで結構なことですが、いたずらに長く続けることが偉いわけではありません。「じゃりン子チエ」は、名作だから長く続いたのであって、長く続いたから名作だというのは逆です。
 また、当り前のことですが、どんな作品にも終わりは必ず来ます。連載中よりも、むしろその後どのように愛されつづけるかで真に名作と呼べるかどうかが決まると思います。
 以上、私見でした。
Re:私の考え [ パイパー ] 02/11/13 22:21
>  どんな作品にも終わりは必ず来ます。連載中よりも、むしろその後どのように愛されつづけるかで真に名作と呼べるかどうかが決まると思います。

愛されたというより、「再放送によって関西名物になった」が、より正確な評価じゃないのかと…。

私個人の名作の基準は「いかに終わらせたか?」です。
終わりをよくしたとはいえないのではないでしょうか?
よく指摘されているところですが…。

Re[2]:私の考え [ 灰江奈 ] 02/11/13 23:44
 ちょっと私の言い方が抽象的すぎましたかね。

> 愛されたというより、「再放送によって関西名物になった」が、より正確な評価じゃないのかと…。

 今までのことについて言いたいわけではありません。むしろ、今後「じゃりン子チエ」という作品の真価が問われることになるのだ、と言いたいんです。

> 私個人の名作の基準は「いかに終わらせたか?」です。

 つまり「じゃりン子チエ」はいたずらに長く続けすぎた、ということでしょうか。仮にそうだとしても仕方がないでしょう。終わって欲しくないと願う方が大勢いて、それにはるき先生が応え続けてきただけなんですから。
 ともあれ、私や皆様がここにこうして居るのも、すべてははるき先生のおかげです。あらためて、はるき先生に感謝。

Re[2]:私の考え [ 森 絢女 ] 02/11/14 12:57
> > 愛されたというより、「再放送によって関西名物になった」が、より正確な評価じゃないのかと…。

う~ん、私は再放送がんがんやってた時にはすでに関西にいなかったので分からないのですけど、やっぱりじゃりン子チエは手放せなかったですよ。
愛があったと思いますね。
アニメとしてのじゃりン子チエも嫌いじゃないし、割と好きだとは思うけど、やっぱり漫画で読むあの独特の感じが好きでしたから。
それと、最後は私あぁ言う終わり方好きですね。
1巻からずっと続いて来て、変わっていく人々(カルメラ兄弟を筆頭に)、途中変わったのに、結局最後は同じだった人(地獄組ボス)、最初から最後まで変わらなかった人々(コケザル)みたいなのの対比がすごくよかった。

まぁ、もちろん、こういうのは人それぞれの受け止め方だと思いますけどね。

http://www.geocities.co.jp/Beautycare/1967/index.html

Re[3]:私の考え [ おいちょ ] 02/11/19 02:56
>1巻からずっと続いて来て、変わっていく人々(カルメラ兄弟を筆頭に)、途中変わったのに、結局最後は同じだった人(地獄組ボス)、最初から最後まで変わらなかった人々(コケザル)みたいなのの対比がすごくよかった。

わたしもそう思います。このあたりが、チエの”時間の秘密”ですよね。なんでこんな”仕掛け”にしたのかなー。「時間の流れ」を軸にチエ、火の鳥、ドラえもんあたりを比較してみると楽しそう。

Re[2]:私の考え [ 灰江奈 ] 02/11/20 23:27
 よけいなことかも知れませんが、一応、パイパーさんのご発言に対するフォローとして……。
 「じゃりン子チエ」は長く続けすぎたのではないか、とはたしかによく指摘されているところです。堅気屋倶楽部の過去ログでも、そんな発言が少なからず見られますし、何より、はるき先生ご自身が「そんなに続けたこと自体、ボクはまだ、我に返っていなかったのかもしれないが……。(小学館ビッグコミックススペシャル「ガチャバイ」上巻あとがきより)」と述べていらっしゃいますし。

 まぁ、初期の頃が一番面白い、というのが通説であって、私もおおむね同意なのですが、しかし、一概にそう決め付けて良いかどうか、疑問を差し挟む余地はあると思います。これはまったくの私見ですが、54巻のテツとミツルとカルメラ兄弟のエピソード、56巻のマサルとタヌキのエピソードなどは、全67巻通じて見ても秀逸な部類ではありますまいか。

 何のかの言っても、「じゃりン子チエ」は、少なくとも後世に伝えるだけの価値はある作品だと私は信じています。そのために私ができることといえば……(………)。

Re:今日(11月12日)で・・・・・。 [ おいちょ ] 02/11/19 02:44
終わり方について。はるきさん=腕のいいストーリーテラーと感じさせる終わり方ですね。あの作品の流れにそえば、カルメラ兄弟は結婚するのが必然。そこから話を続けることもできるのでしょうが、子供ができたところですぱっと終わらせたのがうまい。そのために、この先「古典」に足りえる作品になったと思います。

こち亀は、いわば”時代のカタログ”ですよね。長く続いているけど、あれを全巻そろえて、「また1巻から読み返しちゃった」なんていう人はあまりいないと思います。

その点、チエのフリークは、何回もチエを通して読み返しますよね。

長さにはあまり意味が無い。こち亀とはジャンルが違う、と思った方がよさそうです。

唐沢俊一曰く [ 灰江奈 ] 02/11/19 08:18
 ご存知の方も多いとは思いますが、マンガの「終わり方」に関しては、下記のような見解もあるということを一応ご紹介しておきます。

『マンガの描き方のような本を読むと、導入部と結末を大事にしろ、と書かれている。確かに、この二つは物語を作るときの基本だろう。小説や映画では、この最初と最後がきちんと描かれてないと興ざめがする。しかし、マンガにおいては。
 もちろん、マンガにおいても導入部と結末の重要さは論を待たないが、しかし、それよりも何よりもマンガにとって大事なのは、”読んでいるその瞬間”ではないか、と思う。次から次へとページをめくらせていく、その力。読者に”結末がどうなるんだろう”などと、終わりのことを考えさせるようではダメなのではないか。むしろ、マンガに必要なのは、読者たちに
「どうか終わらないでください、最後のページにならないでください!」
 と願わせるような、”読んでいる最中の快感”なのではないだろうかと思う。』
(「とても変なまんが(唐沢俊一著、早川書房)」第170ページより。)

 一理ある、と私も思います。そして「読んでいる最中の快感」について言えば「じゃりン子チエ」はどうか、というと、それは皆様一人一人がご承知の通りです。

# 引用が長過ぎるかな。

Re:唐沢俊一曰く [ おいちょ ] 02/11/20 00:07
一理あるとは思いますが、論旨が古いですよね。漫画文化が成熟しつつある現在、「漫画」ってだけで一くくりに論じるのは無理があります。そういう点で、古い。

チエには「終わらないで!」と思わせるものがたしかにありますよね。同時に、このあとどうなるの?と思わせる要素ももってませんか?

一回性と継続性の混在。やっぱり”時間の秘密”かな(笑)。

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