1978年に連載が始まって以来、「チエ」のキャラクターの中では常にチエ人気No.1ですが、初期からの読者である私は、なぜかチエのことが今ひとつ好きになれませんでした。その理由を探るべく、これを機会に私なりに分析してみました。まず作品中から読み取れるチエの性格・人格・気質を列挙してみますと、(1)世間体・体裁を気にする(見栄っ張り)
チエは初めの頃はヒラメに、テツが仕事をしないで遊んでいることを知られたくないために、「お父はんは今仕入れに行ってる」「今はちょっと市場に行ってる」などと言ってお茶を濁しているし、ヒラメにテツの正体が知られてしまった後も、サッちゃんに対しても同じようにテツのことを何かと誤魔化そうとしています。それは子供ゆえの恥ずかしさから来る行動だと解釈できなくもありませんが、やはりチエは子供のわりには体裁を気にし過ぎているように思えます。チエも本当は父親のテツのことが好きなはずなのに。
(2)外面はいいが、身内に対しては冷淡
チエは商売柄もあるでしょうが、他人に対しては人当たりもいいしサービスもいいのですが、身内に対しては時には驚くほど冷淡です。特に自分が恥だと思っているテツに対しては父を父とも思わないような態度を取っているし、さらにその母親である菊に対してもどこか冷めた見方をしています。それは猫の小鉄に対しても同様で、初期の頃は「小鉄にエサをやるのを忘れた、どないしょ」と汗をかくほど心配しているのに、巻を重ねるごとに小鉄をまるで自分の奴隷のように扱っているし、エサのことなど忘れてしまったかのような振る舞いをしています。私にはこの辺の変化に一番戸惑いを覚え、強い違和感を感じています。
(3)人をその言動でしか判断しない(内面を見ない)
チエは、テツはもちろんですが、コケザルに対してもその言動だけで人格まで判断して、ハナから「悪い子」だと決め付けてしまっています。ヨシ江はんのように、コケザルの心の内まで推し量って接してあげるような優しさが感じられないのです。チエにとっては博打を打つ人間は無条件に悪人であり、真面目に商売をやっている人間は無条件に善人なのです。ちょっと世間で苦労した人なら、そのような人間観が浅薄極まりないのはお分かり戴けると思います。それもまだ子供ゆえ仕方ないのかも知れませんが、他人の心の内面を推し量る努力は余り払っていないように感じられるのです。
以上(1)~(3)でチエの人格を分析してきましたが、鋭い「チエ」の読者なら、その人格が何に由来しているのか気付かれたはずです。そうです、チエの祖母である菊の人格に極めて似通っているのです。菊も息子であるテツのことを、ずっと自分の恥だと思って育てて来ましたし、対外的な体裁を保てなくなると途端に開き直ってしまうところもよく似ています。
かつて拳骨先生はチエのことを、「ええところは皆ヨシ江はんに似てる、テツに似たのは喧嘩が強いところだけや」と評していましたが、私から見れば、チエの基本的な人格ベースは祖母の菊から受け継いだ部分が大きいように思えます。なので今後チエが成長したら、母のヨシ江はんよりも祖母の菊により似て来るのではないかと思われます。
もっとも将来もしチエが、あの百合根カオルと交際して結婚すれば、カオルの「マサルなど足元にも及ばないような気品」に影響されて、チエもヨシ江はんのような美しさと優しさを持つようになるかもしれませんが、そうなると「じゃりン子チエ」世界の基本的骨格にも影響が及ぶので、作者はチエの恋愛相手として登場させたはずのカオルを、あえて途中で引っ込めてしまったのでしょう。
以上の理由により、私は皆さんのようにチエちゃんに対して今ひとつ傾倒できず、滅茶苦茶だけど愛嬌があって憎めないテツの方がずっと好きでした。特に終盤のテツは以前よりも素直かつ丸くなって来ているので大好きです。