堅気屋倶楽部
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呉智英説 [ 伯明 ] 98/05/01 23:59
「じゃりン子チエの秘密」読ましてもらいました
よく調べたなぁ、とただただ感心してしまいました(^^;
ちょっぴり気になったのですが、ファンの間では、呉智英のテツが部落被差別者、という説は否定的のなのかしら
いや、個人的には支持しているものですから
どことなく不可解な、花井センセとテツの関係が、その方が分かり易くなるのですね
花井センセの作家活動というのも、朧気ながら掴めてきます(全て、ではありませんが)
もっぺん、考え直してみてはどうでしょうか
Re:呉智英説 [ 菊地馨@関じゃり研 ] 98/05/02 19:25
『じゃりン子チエの秘密』をご購読いただきありがとうございます。

詳しくは『現代マンガの全体像』(情報センター出版局)か『現代マンガの全体像増補版』(史輝出版)をお読みいただければ詳しいのですが、呉氏のチエ論文はテツに限らずヒラメちゃんは在日朝鮮人ではないかとも書いてます。
個人的には、文章全体から、これらの人たちを蔑視しているような印象を受けました。

否定的か肯定的かの判断は、実際に呉論文を読んで頂くしかないでしょう。
なお「在日」説は原作と日本国憲法を照らし合わせれば、誰でも論破可能。

Re[2]:呉智英説 [ 長友 馨 ] 98/05/02 20:57
僕はあの論評では「蔑視」までは感じませんでした。
ただ、それならあの論旨に与するのかというと、そういうわけではなくて『じゃりン子チエ』というテキストの情報量だけで、あそこまで言い切っちゃうのはちょっと無理があるというか論拠に乏しいな、という感じです。
あの論法でいったら「ウルトラマンとマルキシズム」とか「ドラえもんにおける思想統制」とか、そういうので一本書くことさえできるような気がします。

ただまあ、あるテキストを人がどのように読むかはその人の自由だから、あれはあれでありというのか、まあしゃあないか、というのが僕のスタンス。

ま、基本的には気楽に読んでるんですけどね。
それと、「花井センセとテツの関係」ですが、僕にはあまり不可解な感じはないです。

個人的に、日ごろわりとベタな人付き合いが多いせい?
ところで、呉智英のくだんの論評が入ってるのは、最近文庫で出てましたよね。どこの出版社か失念してしまったのだけど。それが史輝出版の増補版だったのかな?

Re[3]:呉智英説 [ 森 絢女 ] 98/05/02 23:29
あまり支持できないんですよね…。
大阪での被差別部落地域というのはどこにあるのかということくらいは知っていますが、だからといって、じゃりン子チエのマンガにでてくる話だけでそれを証明するのは難しいし…。
個人的な感想としては、マサルの母親みたいな人間が、マサルにチエちゃんとの友達付き合いを全く規制していないということから考えても違う気がします…。
在日かどうかってことは、選挙権持ってるということだけで違うといえるし…。それに、花井先生の作家活動というと李白の研究ですよね…。
別に被差別部落出身ということとつながりがあるとは思えないんですけど…。

http://www.geocities.co.jp/Beautycare/1967/

Re[4]:呉智英説 [ とりちゃん ] 98/05/03 01:07
とぉとぉ、伯明様にも私の本名がばれてしまったのか…とゆうことはさておいて、

> ファンの間では、呉智英のテツが部落被差別者、という説は否定的のなのかしら

原作だけでは、否定も肯定も出来ないので「関じゃり研」としてはグレーです。
ただ、テツが呉説のようなことであっても、今、それを論ずること自体ナンセンスのような気がします。
「関じゃり研」の立場は、ホームページの論文「じゃりン子チエの街~後篇」=「在日」説と「部落」説~呉智英「じゃりン子チエ」批評に対する批判も参考にしていただければ幸いです。
長友様のおっしゃるとおり、原作の読み方は、人それぞれあって、いいんじゃないでしょうか。

呉智英論文の文庫版 [ とりちゃん ] 98/05/05 02:17
『現代マンガの全体像』というタイトルで、あの双葉社から双葉文庫として出ています。
ISBN4-575-71090-3
興味のある方はこちらを参考にしてください。
呉説の補足をしてみました [ 伯明 ] 98/05/05 23:34
ああ、帰省中にRESがついてる(^^;
すんません、回答です
ヒラメちゃん在日朝鮮人説については、呉氏も特に詳しい説明をしていません
ヒラメちゃんはおそらく在日朝鮮人だろう、という一言だけ
マンガ中にも、それと思われる描写、セリフは見つかりません
たぶん、顔で判断したのでしょうね(ひどい話のようですが(^^;
マンガでは、絵も重要な情報ですし、記号化される、ということを考えれば、平坦な顔を朝鮮人と判断するのもアリ、とは思います
ただ、強引すぎるきらいがあるので、私の判断は、可能性はある、という程度です(断言できるだけの情報がないのですよ。選挙権の問題もあるし)

花井センセの執筆活動ですが、マサルのおじさんが登場したとき、花井センセを作家の一人として名を挙げています
李白研究は、花井センセの基本ですが、マサルのおじさんの発言は、それ以外の執筆活動があることを示唆しています
内容としては、周センセが登場することを考えますと、私小説のようなものではないでしょうか
その内容(もしくはテーマ)は、基本的に反権威(反権力?)、といったものではないかと思われます

その根拠として、花井センセらが警察とラグビーをした後、雑誌にスクープとして掲載されるのですが、その掲載内容が、日本と喧嘩したように書かれている、ということです
警察と喧嘩しただけで、普通はここまで飛躍したことは書かれませんよね
花井センセが普段執筆しているものが、日本と喧嘩しようとしている、と思われてしまうものを書いているためではないでしょうか
さらに、テツがハイエナ商事の社員と口論をしているとき、あの花井センセやどー、と紹介すると、花井センセは、冷めた表情をしています
ハイエナ商事の社員が花井センセを知らないからではありません
知らない、と言う前から冷めた表情になっていますから、花井センセは、テツも権威に弱いことを悟って、がっかりしたのではないでしょうか

#別の見方として、ハイエナ商事のような
#権威を笠に着て横柄な態度に出る人間を毛嫌いしている
#というのもあります
##どちらにしろ、花井センセのスタンスが反権威であることが
##伺えるエピソードです
##花井センセ自身が権威になるもの嫌がっていますね

なぜテツが権威をどうとも思わない人間と花井センセが判断したのか、それはテツが被差別部落の人間だから、ではないでしょうか、
とようやく、呉説と結びつきます。長かった(笑)

部落の人は、国家からも虐げられています
人が嫌がると殺場などが同和地区に建設されていたりと、国家が暗黙に差別を了承しているのです
つまり権力者に対する不信、そして弱者虐待に対する怒り、それがテツの警察・やくざ嫌いへと結びつく、と呉氏は判断しました(部落被差別者は、社会的弱者ですね)

そして、それが花井センセの執筆活動と結びつくわけです
単純に花井センセがテツを好き、でも別に問題はないのですが、何十年もの間テツとつきあっているのですから、少し論拠としては弱くはないでしょうか
花井センセが好きなのは、テツの権威を屁とも思わない態度
私はそう考えます

以上の理由からでは、テツを部落被差別者と断言することはできません
まあ以上のもの以外で判断する材料はほとんどないのですが、ヨシ江はんの両親が既に亡くなっている、ということも重要です
部落被差別者との結婚は、通常親類縁者の猛反発に遭うのが普通ですから、なぜ両親が亡くなっている、という設定なのか
それは、テツとの結婚をスムーズにするためではないか、というというのが私の見解です

とここまで書いて、アブナイ思想の人だと思われたらやだなぁ
という気分になったので、ここまで
あまり飛躍はなかった思いますけど、いかがでしょ

Re:呉智英説 [ 伊藤 顕 ] 98/05/07 11:56
なんや難しい話が続いておりますが、お久しぶり(?)です。伊藤です。

なんか、ゴールデンウィークをはさんだために1週間顔を出さないと、なんか長いこと来てないような気がしていけません。

「現代漫画の全体像」についてですが、確かあの登場人物朝鮮人説は、舞台を、…ええとなんて区だったっけなあ、とにかく鶴橋のほうの朝鮮人が多い街(焼き肉屋がやたらありますよね)ではないかという前提のもとでの説だったと思うので、われわれの『頓馬区』=西成区という考えのもとでは考えにくい、という考え(ややこしいなあ(笑))で、「とんでもないこと」と以前に(会誌のころ)言ったような覚えがあるけど、説としては、あらためてかんがえると面白いと思う。

しかしあの説は、じつは根本は、はるきセンセの『力道山がやってきた』から出てきているもので、『じゃりン子チエ』にはどう読んでも無理矢理こじつけているようにしかとれないので(読んでもらえればなんとなく分かるでしょうか)、その無理矢理さに、否定的になる部分があったのは事実。

ただ、文章を書く身に当たって、まずは主張したいものありき。そしてその例として「じゃりン子チエ」を引用したという…そういったところでしょう。呉智英さんの主張したかったのは朝鮮人差別問題であって、テツ=朝鮮人説ではないと思うのです。

『はるき悦巳の秘密』のあとがきでも触れましたが、すでにあるものは、時と場合によってどう捕らえてもいいと思うのです。そこから自分たちが何を汲み取れるか、そして作者だけでなく自分の言いたかったことは何なのか、そこから出発してみるのも面白いと思います。

一般論になってしまうけれど、 [ ふせん ] 98/05/08 08:11
部落差別問題には、僕は発言できない。知らないことが多すぎる。
ただ、一般論になってしまうけれど、これは「どうでもいい」問題じゃないだろうか。
なぜなら、作者が明記していないのだから。どう受け取ろうと、読み手の自由であって、こうだ!という決定はできないし、する必要はないと思うし、まあそれを話題にして、いろんな事への理解が深まるのはいいことだろうけども。
ただ、そういう背景(差別問題)が、漫画の中でも描かれていることは無視できないとぼくは思っている。甘いかな。
Re:一般論になってしまうけれど、 [ ふーきゃん ] 98/05/09 00:03
ふせんさんのおっしゃる様に「どうでもいい問題」だと思います。
誤解のないように言っときますが、差別問題がどうこう言ってるのではないですよ、これは大事なことです。
ただ、漫画のおもしろさには関係ないと思いまして。呉智英についてはよく知りませんが問題があると「差別問題」という方向にしてしまう方なんでは?
そして確実に言えることは作者は絶対にそんな設定にはしていない、ということです。
「どうでもいい」論 [ とりちゃん ] 98/05/09 01:23
確かに、どうでもいいことなんですが、それを言ってしまうと「じゃりン子チエ」の研究を目的としている「関じゃり研」の存在意義がなくなてしまいます。
ここも「関じゃり研」の管轄なのですから。(←超重要)
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