作者の意図は、ともかくとして、「あの作品のあれは実は何々」の様な言い回しは、プロやアマチュアの評論家達にとっては、自分たち自身の思い入れを書き込む、すなわち、彼ら自身の生活環境について語っているのであり、それに対して「チエ」の世界観と違う、というのは、その人の読書歴と社会的な贔屓筋の関係と違うと言っているだけなのではないでしょうか。だからこそ、これはこうだ、それは違う、という論争が起こることは、社会的バックグラウンドのライバル関係によるものなので、一人で盛り上げているのでなければ、周りから見て、興味深い事だと思われます。
ここは、関西じゃりン子チエ研究会さんの運営ですので、一般的に運営者の意見に沿った意見が出てくることは当然に思われるのです。
そして、その事はネット一般の了解済みのことなので、改めていうことでもありませんが、とりあえず、私の意見も言わせてください。
じゃりン子チエとは、歴史大河ギャグとして、創作された物であり、その中にどのような意味を読み取る事もできるのではないでしょうか。
シンプルな読み方をするならば、日本の歴史の縮図の中のさまざまな人間の生き様をそれぞれのキャラクターの動かせる範囲内で、相応していったものと思うのです。
つまり、テツ=在日だけではなく、
テツ=特攻崩れ、と読むことも出来、又、
テツ=闇市や神武景気やバブル景気で浮かれる日本人とも言え、さらに、
テツ+お好み焼き屋=ヤクザにこうあってほしいと願う日本人の理想像、フーテンの寅さんやこち亀の両津さんのような人物と捉える事も出来るのです。
終盤の頃のテツは明らかに嫌々書かされているピンチヒッターのシナリオライターのじゃりン子チエムカツク節と、言うことも出来ます。
プロな読みとしては、203高地ってこんな風やったんとちゃうか、のようなセリフものが重要な読みの手がかりとなるわけです。つまり、戦争、経済、政治の縮図を庶民の一家の中に描いているわけです。
危険な読みとしては、テツ=(テ、)のような読みも出来るのです、ちょっとヤバイですね。これぐらいで終わっておきます。