堅気屋倶楽部
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論文にたいして質問です [ hasimoto ] 05/11/06 23:33
論文『じゃりん子チエの街』内の部落説、在日説について書いている所なんですが、呉智英氏の著書『現代マンガの全体像・増補版』に対して批判していますよね。この本は僕も読んだんですが文庫でしか読んでおらず、批判の該当部分が見つけられませんでした。『増補版』には竹本家やカルメラ兄弟が在日である、という部分が書かれてあるのでしょうか?
これがあるとないでは呉氏の説もかなり変わると思うんです。文庫版を読んだ限りでは、こちらで皆さんが反論、批判しているようなネガティブな印象ばかりでは無かったので、是非増補版と読み比べようと思ったんですが手に入らなくて…。
お持ちの方がいらっしゃいましたら、該当部分だけで構わないので教えていただけないでしょうか?
Re:論文にたいして質問です [ 菊地馨@関じゃり研 ] 05/11/07 11:32
いらっしゃいませ
ここで参考にしたのは史輝出版の『現代マンガの全体像・増補版』であり、書くに当たっては図書館でコピーにしたものをたたき台にいたしました。現在はこのコピーも紛失していて確認が取れないのですが、おそらく大きな図書館にいけば史輝出版のものも読めるものと思われます。

念のため、同様の件で議論があった過去ログも付しておきますのでご参考ください。
https://katagiya.jarinko.com/98/086.html

ちなみに呉氏は1998年にも雑誌「ダ・ヴィンチ」の連載「マンガ狂につける薬」の中で同様の説を発表しています。おそらくこちらも単行本化されていたと思いますので参考にしていただければと思います。

Re[2]:論文にたいして質問です [ hasimoto ] 05/11/08 22:58
早速のお答えありがとうございます。時間を見つけて探してみます。

因みに文庫版での論旨の中で名前が上がっていたのはテツ、チエ、ヒラメでした。特に蔑視と見られるようなところは無く、よくまとまった(ヒラメちゃんを在日だという根拠が説明不足でしたが)作品論、作家論だったと思います。

Re[3]:論文にたいして質問です [ ニセテツ ] 05/12/07 18:02
作者の意図は、ともかくとして、「あの作品のあれは実は何々」の様な言い回しは、プロやアマチュアの評論家達にとっては、自分たち自身の思い入れを書き込む、すなわち、彼ら自身の生活環境について語っているのであり、それに対して「チエ」の世界観と違う、というのは、その人の読書歴と社会的な贔屓筋の関係と違うと言っているだけなのではないでしょうか。

だからこそ、これはこうだ、それは違う、という論争が起こることは、社会的バックグラウンドのライバル関係によるものなので、一人で盛り上げているのでなければ、周りから見て、興味深い事だと思われます。

ここは、関西じゃりン子チエ研究会さんの運営ですので、一般的に運営者の意見に沿った意見が出てくることは当然に思われるのです。

そして、その事はネット一般の了解済みのことなので、改めていうことでもありませんが、とりあえず、私の意見も言わせてください。

じゃりン子チエとは、歴史大河ギャグとして、創作された物であり、その中にどのような意味を読み取る事もできるのではないでしょうか。

シンプルな読み方をするならば、日本の歴史の縮図の中のさまざまな人間の生き様をそれぞれのキャラクターの動かせる範囲内で、相応していったものと思うのです。

つまり、テツ=在日だけではなく、
テツ=特攻崩れ、と読むことも出来、又、
テツ=闇市や神武景気やバブル景気で浮かれる日本人とも言え、さらに、
テツ+お好み焼き屋=ヤクザにこうあってほしいと願う日本人の理想像、フーテンの寅さんやこち亀の両津さんのような人物と捉える事も出来るのです。
終盤の頃のテツは明らかに嫌々書かされているピンチヒッターのシナリオライターのじゃりン子チエムカツク節と、言うことも出来ます。

プロな読みとしては、203高地ってこんな風やったんとちゃうか、のようなセリフものが重要な読みの手がかりとなるわけです。つまり、戦争、経済、政治の縮図を庶民の一家の中に描いているわけです。

危険な読みとしては、テツ=(テ、)のような読みも出来るのです、ちょっとヤバイですね。これぐらいで終わっておきます。

Re[4]:論文にたいして質問です [ マディ水 ] 05/12/23 03:36
突然割り込んでごめんなさい。

呉説は「テツ=○○、ヒラメちゃん=○○」と決めつけたことが、かえって呉氏自身の言いたかったことを伝わりにくくしてしまったと思います。つまりあの論文のテーマは「テツ=○○、ヒラメちゃん=○○である」という暴露などではなく、「はるき作品の魅力は、絶望的なまでの暗さを奥底に隠した明るさである」ということですよね。ただその“暗さ”の原因を解明するために、ああいう憶測からの決めつけを書いたのは、確かに少々迂闊ではなかったかと思います。

しかし、他の作家の漫画に比べて『チエ』およびはるき作品の登場人物は“そういう(社会学的な)憶測”をされやすい設定なのも事実です。これは差別問題に関する憶測だけでなく、ニセテツさんが例に出した“特効あがり”という考え方なども同様です。

とにかく事実ははるき先生にしか分かりませんが、少なくとも『チエ』はストーリーや登場人物の活躍に爆笑することもできれば、そういう問題についてフト考えることもできる、何とも奥の深い漫画である、と……。長文すみませんでした。

Re:論文にたいして質問です [ とっかり ] 05/12/29 21:15
こういう話になると、花井センセがテツたちと府警ラグビー部とのケンカに止めに入ったとき、週刊誌が「スクープ・文壇の孤児花井拳骨のバトルオブ西萩」と騒いだ話を思い出します。

過去ログでは登場人物の反権力指向の根拠として紹介されているかたもいらっしゃいますが、実際には花井センセはこんなことを言うてます。

花井拳骨「いや~まいった、ほんまにまいったわ…なんか知らんけど、ワシああゆうの好かん…ワシケンカ止めただけやがな。そやのに日本の国相手にケンカしたみたいなことになっとるんや」(単行本11巻164-165p)

…このへんがこの作品のスタンスのよおな気がするのは私だけでしょうか。

「いや~まいった、ほんまにまいったわ…なんか知らんけど、ワシああゆうの好かん…ワシ小さいころ思い出しながら漫画描いただけやがな。そやのに世間相手に深刻な社会問題を告発したみたいなことになっとるんや」(笑)

すみません補足 [ とっかり ] 05/12/29 21:52
確かに奥深く読むことは可能なのですが、それは作品そのものの要素ではなく、頭の中の釜ケ崎の知識と結びつけてしまう「読み手の要素」ではないんやろか、と思います。

カマで生まれたり暮らしたりしてるから社会運動に走ったりしてて当然やというようなレッテルを一律に貼ってしまうよおな考えはちと抵抗あります。

共に子どものころの身近な人情味あふれる世界を描いただけなのに、西岸良平は“たまたま”東京生まれだったから「古き良き東京の庶民の心を描いた」と評価され、はるき悦巳は“たまたま”西成区生まれだったから「社会から差別される人たちの姿を描いた」と評価されるとするならば、なんか不条理な気がします。

作品によく出るポリさん嫌いの表現なぞ、特定の階層の感情ではなく、大阪人の共通心理であることは過去のいわゆる「大阪学」的考察の書物によく出ている話ですし。

連続しての書き込み申し訳ありません。

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